経済学者 浜矩子さんのズーム講演会〈川崎北部の革新懇共同企画〉
11月27日、多摩区、麻生区、宮前区、高津革新懇合同企画として浜矩子さんの講演会が開催されました。コロナ禍の中ですので、てくのかわさきホールにズーム会議方式で浜矩子さんをお迎えしプロジェクター上映しました。初めての試みで、実行委員会の皆さんは準備で大変だったと思いますが、浜さんは、「コロナ後には前の社会に戻るのではなく、よりよい未来を作りたい」という私たちの願いに応えて話されると確信し、多くの方に視聴していただきたいという強い思いで取り組んでいただいたと思います。それに十二分に応えてくださった講演だったと思います。
二つの下心政治を比べてみれば
安倍政治を引き継ぐと登場した菅首相が、第1に掲げたのが「自助」でした。浜さんは二人の下心の政治を比べてみれば、菅政治は強権政治を目指し異論を排除する。強大な経済のための淘汰と集約を行い、振り落としていく。実益のために各論としてデジタル庁の創設を進めるとしているがこれは要注意だと。
そうではない経済政策に求められるものは3つ。それは目と耳と手 であると。
「目」は涙する目。他者の思いや痛みを我が身として捉えらることができる目
「耳」は人の話を傾聴することができる耳
「手」はさしのべる「手」であると。
しかし菅氏の目と耳と手は
「目」は監視の目=デジタル庁はこの役割を果たす
「耳」は盗聴の耳ー=デジタル庁はこの役割も果たす
「手」は切り捨てる手 だと。
端的で実にわかりやすい!
自助第一社会のむこうがわにあるもののイメージを持つことが大事。
それは弱者政治のための徹底公助の世界。自助できない人に政策をしっかり持てる政治が必要。国家は国民に奉仕するために存在し、国家は国民の奉仕に徹する。「公助、公助、公助、そして奉仕」
それは公助確立のために強者が奮闘することが必要。強者はたくさん税金を払うことが必要。しかし、最高税率がかつて75%だったが、今や45%に落ちている。税収が落ちるのは当たり前。これでは共存といっても共生する気持ちがあるとは言えない。強者の強さは弱者のためにあり。弱者が強者を支えることもある。小さな町工場の技術が被災したことで世界のある生産がストップした事例を話され、なるほどと思いました。
真の共生社会はいずこに?
浜さんは旧約聖書の中にあるとして一説を紹介しました。
狼は子羊とともに宿り、豹は子山羊と共に伏す。
小牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く
牛も熊も共に草を食み、その子らは共に伏し、
獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼児は蝮の巣に手を入れる。
私の聖なる山においては何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
この部分はイメージは湧きますが少々難しかった。
終わりに
誰もが誰のためにも泣ける=真の共生社会をつくる。そのために打倒スカノミクスを!で終了しました。
浜矩子さんの歯切れの良い話、ズバリ言い当てる端的な言葉は、とてもわかりやすくすっきり!感動しました。特に目は涙する目、耳は傾聴する耳、手はさしのべる手。政治家にも必要だなーと。かくありたいと思います。
プログラムの最後の、斎藤牧子さんのバイオリン演奏「愛の讃歌」も素敵でした。