圧迫骨折で入院、リハビリ、そして議会に復帰
5月20日の朝、自宅の階段を踏み外して腰を強打。その瞬間とそのあと数秒間、何が起きたんだろうとボーとし、そのあと我にかえりました。この痛みは打撲だけの痛みではないなと思いながら、娘に運転してもらい病院へ。第12胸椎圧迫骨折でその日に入院しました。コルセットができるまで安静を指示され、その間、移動はトイレに行く時だけ、ナースコールして車椅子で介助していただきました。動くたびにイタタタの声がどうしても出てしまう数日間を過ごしました。でも入院した翌日から、理学療法士の先生が、寝ていると足が弱くなってしまうのを防ぐためにリハビリを毎日してくださり感激しました。
8日目からコルセットを着用し、車いすから歩行器に変わり、そして杖に変わり、その間も毎日リハビリをしました。
帰宅後を考え、階段の上り下りもやってみましょうと病院の階段で練習し、ゆっくりゆっくり、1段ずつ手すりを掴んで上り下りしました。
ほぼ毎日主治医の先生が回診し様子を聞いてくださり安心しましたし、看護師さんたちにもお世話になりました。初めての体験ですが入院後に全身浴をしていただきました、いろいろな職種のプロフェッショナルのスタッフが役割を担っているんだと実感しました。
そして6月5日、理学療法士の先生が書いてくださったリハビリのメニューをしっかり持って晴れて退院しました。
初めは2〜3時間起きていると背中と腰が痛くなるので横になり、睡眠をとり、夕方には杖を突きながら外を歩く練習のため、家の周りを5〜6分歩きました。
数日後からは午前と午後1回づつ歩き、時間も徐々に延ばし10分くらいに。近くの店にお花や何か1品だけ買い物をして帰ってくることで、杖を突きながらですが少しづつ外を歩くのも慣れました。
私が休んでいる間も時は止まらず、コロナ感染は刻々変化。6月20日、日曜日に本会議が開催され、協力金が提案され、君島県議は産業労働委員会で奮闘、代表質問は上野県議が立ち、共産党県議団はまん延防止重点措置が延長されるなか、児童生徒をオリンピックの観戦に動員するのは子どもをリスクにさらすものでやめるべきなどの申し入れをしました。インターネット中継を見たり、ラインでまだ委員会続いていることや申し入れしたことなどを読み、みんな頑張っているなと連帯しながら一抹の寂しさも。
主治医の先生に相談しながら6月25日から復帰しました。通勤は混雑時間を避けること、無理をしないように短時間からと念押しされて出勤。団の仲間から暖かく迎えられ、あー帰ってこれたと実感。何人かの他会派の方々にも声をかけていただきました。
復帰後、常任委員会では7月1日に質問し、今日8日は意見発表と委員会採決が終わりました。
特別委員会の質問も終わりました、質問の準備は体調的に少しきつかったですが、無事に終わりました。明日9日は急遽、本会議が開かれ、11日で終わるまん延防止重点措置期間が延長されるに伴う協力金の補正予算が提案されます。最終日は7月13日です。
みなさんから復帰して大丈夫かと心配の電話やメールをいただきました。怪我をして2ヶ月後に受診予定ですが、レントゲンで骨折した骨が回復してますようにと思いながら、体調回復に努めます。しばらく地域を歩いていなくて心苦しいですが、もう少し休養が必要かと自分に言い聞かせているところです。