「お〜い!煙突男よ」の舞台と、映画「グレタ ひとりぼっちの挑戦」を観る
5月8日、第8回川崎郷土・市民劇「お〜い!煙突男よ」を14時から多摩市民館で観劇し、そのあと、18時半から高津区のてくのかわさきホールで、映画「グレタ ひとりぼっちの挑戦」を観ました。心が揺さぶられる1日でした。
川崎郷土・市民劇は、2006年市政80周年を記念して始まった市民と行政の協働事業です。川崎の歴史や人物を劇化し、公募の出演者、プロのスタッフによって、2年ごとに上演しています。私はこれまで第1回目の「田中兵庫物語」と6回目の「南武線誕生物語」を観ました。特に「南武線誕生物語」は、満席で、確か通路に座って観た記憶があります。川崎の歴史と歴史上の人物を取り上げた創作劇で、とても面白く、川崎の文化に触れて、改めてその魅力を感じることができる貴重な機会です。今回は時間を調整して観ることができてよかったです。
「お〜い!煙突男よ」は昭和5年11月に起きた「川崎煙突男事件」を描いた実話の創作劇。今の川崎競馬場にあった紡績工場には、3千人を超える女工さんたちが働いていた。解雇や低賃金に反対する争議が起きていたが、解決のめどが立たなかった。その時、一人の男が40mの煙突に登って、女工さんたちを励ました。男の名前は田辺潔さん。煙突の下では、1万人もの見物客。焼き鳥やおでんの屋台まで出てきて、まるでお祭り騒ぎ。国内はもちろん、海外の新聞までが報道、民衆は拍手喝采を送ったということです。
女工のタエさんを演じた片柳あおばさん熱演していました。いつも楽しみに応援しています。当時は、今、小学生のあおばさんと同年代の10歳の女工さんもいたということです。
当時、沖縄から来ている女工がとても多く、関東大震災で亡くなった女工の半分は沖縄の子だったとのこと。ろくに日本語も喋れないとバカにされて差別された。仕事場は熱気と湿気と埃の中、朝6時から12時間、回りっぱなしの機械のそばで、止まるのは糸が切れた時だけ。粗末な食事、まさに女工哀史です。1929年から始まった世界恐慌の中、会社は賃下げと解雇を強行しようとしたが、女工たちはストに突入。争議が難航する中、1930年に田辺さんは工場の煙突に登り、解雇と賃金引き下げの撤回を求め、みんなで力を合わせようと煙突の上から大きな声で励まし続ける。
天皇の列車が煙突の下を通過することとなり、「天皇を見下ろすことは許されない」と会社は、解雇手当を5千円払う。争議中の給料も払うことになり、争議は決着したと争議団から報告された。しかし首切りは撤回されず、賃下げもそのまま。田辺さんは降りるのを迷うが、「降りることは登るよりもずっと大きな勇気がいる」「人間の命を大事にしない思想はあり得ない。命を大事にしろ」と諭され、降りてくるという話。まさに労働者の街、労働運動が根づいた川崎らしい話です。
「グレタ 一人ぼっちの挑戦」は是非観たいと思っていました。2018年8月。15歳の少女、グレタ・トウ-ンベリさんは、スエーデン・ストックホルムにある国会議事堂前で、学校ストライキを始めた。気候変動対策を呼びかけるため、一人で座り込み、自作の看板を掲げて、リーフレットを配りながら通行人の質問に答える。毎週金曜日にストライキをすることから、「Fridays for future(未来のための金曜日)」と名付けられた運動は、次第に注目を集め、世界中の若者たちがグレタの考えに賛同していきました。
傷つくことを恐れず、まっすぐに前を見つめて、正面からNOと言うグレタさん。
気候変動の問題は深刻な危機であることを気づいて欲しい。国連でも堂々と意見を言う姿とスピーチに、私たちはしっかり応えなければと、政治は何をすべきか、CO2削減目標を高く掲げ、具体的に実行していかなければならないと強く思います。