津久井やまゆり園の犠牲者の冥福を祈って献花、そして相模湖・ダム建設殉職者追悼の献花を捧げました
雨が振りしきる1日、神奈川県立知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所されている19人もの尊い命を奪い、26人に重軽傷を負わせた殺傷事件からまる4年となった26日の午後、建て替え工事が進む園の敷地内の入り口に設けられた献花台に手を合わせました。
当時、どれだけ恐ろしい思いをしたか、そしてその後の生活の中で津久井やまゆり園に入所されている方々やご家族が悲しみと向き合い、どのような気持ちで乗り越えられてきたか、乗り越えようとしているかと思いながら手を合わせました。
今、厚生常任委員会の委員として、幾たびか「津久井やまゆり園」の再生に向けての議論をしてまいりましたが、初めて「津久井やまゆり園」におとずれ、献花をさせて頂きました。
生産性で人の価値を判断する今の風潮は、生きづらい社会を生み出しています。
障がい者を始め社会的な弱者や小数者に対する差別や偏見をなくし、誰もが等しく生きる権利が保障される社会でなければならない。誰もの命は皆平等です。
そしてこの日、第42回相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会に初めて伺いました。
相模ダムは1940年に起工され、戦争中も工事が遂行され、戦後の1947年に完成しました。工事には日本各地からの労働者・勤労学徒のほか、労働力不足を補うため朝鮮半島から多くの韓国・朝鮮人が連れてこられ、戦争末期には中国人捕虜が強制連行されて加わりました。この史実を初めて知りました。
戦時中の食料・資材不足の中で進められた工事では事故や病気が多発して83名の方が亡くなられたとのことです。追悼会はダム建設に従事し日本・韓国・朝鮮・中国の行政・関係諸団体のご協力により執り行われ、殉職された3民族の人々のご冥福を祈るとともに建設に携わった全ての方々に感謝の意を表し、追悼会を通じ交流を深め、2度と戦争のない平和な世界を作る礎として会を催してこられたとのことです。いただいたしおりを後でゆっくり読みたいと思います。
今日は、相模原市の田所市議の車で畑野衆議院議員、大山県議、上野県議と一緒でした。