わが国の「子どもの貧困率14.2%、7人にひとりの児童が貧困ライン以下」が09年10月に発表されました。衝撃的な数値です。
子どもの貧困が子どもの生命と心身の成長をむしばんでいる実態を社会がしっかりとらえ、政治がなにをなすべきかを改めて学ぼうと、11月13日、共産党市議団は立教大学の浅井春夫先生をお呼びして講演会を開催しました。
浅井先生は、各地のこどもの貧困や虐待の実態をよくつかんでおられます。
朝食を食べれない子どもが、早朝から学校の正門前で養護教諭の先生を待っている。先生が持ってきてくれるおにぎりを待っているというのです。朝食を食べれないだけでなく夕食も食べれず、「満足な食事は給食だけ」の子どもがいるというのです。夏休みの間に一ヶ月で10キロもやせてしまった子どもの話。
貧困家庭で育つ子どもは虫歯を治療できていない子が多く、中には中学生で総入れ歯になる子も。浅井先生はそうなるまで、どれだけ虫歯の痛むのを我慢しなければならなかっただろうかと話されました。身につまされる実態です。
こうした貧困問題をとらえる視点として、先生は、「人生のスタートラインで、チャンスの不平等がある」「人生初めの時期に希望・やる気がうばわれている現実がある」そして3つめが「子ども期の健康で文化的な生活保障や教育を受ける権利の保障が侵害されている」ととらえる必要があると話されました。
私は聞いていて、日本には児童憲章と教育基本法があるではないか、児童憲章は児童は人として尊ばれる。児童は社会の一員として重んぜられる。児童はよい環境の中で育てられるとうたっています。そ
して教育基本法は第4条で全て国民は等しくその能力に応じる教育を受ける権利を与えられなければならないものであって、人種,信条、社会的身分、経済的地位によって教育上差別されない。国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって就学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならないと定められているのです。
子どもは未来を生きていきます。誰もが等しく成長発達する権利を持っています。それを剥奪してはならないと私は思うのです。「早い時期から希望そのものを奪われている実態がある。親からの期待も少なく、高校に入学しても授業料を払えきれず、精神的にも経済的にも貧困にさらされている現実がある」「こうした「子どもの貧困」は個人・家族の責任だけに帰する問題ではなく、社会が生み出す問題として考えなければならない」とも浅井先生は言われました。
子どもの貧困の裾野には土台として「衣食住の不安定な生活環境」があり、生活水準の悪化が根底にある。非正規労働者が1990年870万人から2009年1677万人まで広がり、とりわけ雇用政策において度重なる規制緩和によって非正規雇用が増大し、24歳未満では二人にひとりまで非正規雇用が拡大しています。同時に派遣切りなどの企業の横暴も貧困の拡大に拍車をかけていると思います。貧困問題を政治がキチンと解決する責任があると思います。
同時に浅井先生は、まずは目の前にこうした児童がいる場合にはまず具体的に支援をすことが必要だ。そして、そうした実態に対し、政策提言をすることが必要だと。中学校給食の実施も必要です。そして、保育園の拡充も必要です。私は保育所は子育て世代の生活のセーフィティーネットの役割があるとかねかね主張してきましたが、必要な人が入れる整備が早急に求められます。今ある福祉施策を使いやすく、拡充することも必要です。本当に「こどものしあわせ」を、そしてその背景にある「子育てするお母さん、おとうさん」の仕事や雇用にも視点をあてた川崎市政をつくりたいと思います。