このまちレポート

3月11日、東北関東巨大地震で大災害

2011年3月13日

本当にびっくりしました。こんな揺れは初めてです。これはただ事ではないと揺れている間、じっと机の下にもぐっていました。なんにもことばがでず、ひたすら早く揺れがおさまってほしいと念じていました。

ともかく帰ろうと書類の落下で足の踏み場もない控え室をあとに、北部の議員でまとまって川崎駅に向かう途中でタクシーを拾うことができました。

1時間半ほどかかって溝口まで着きました。なかなか都内で働いている娘と連絡取れず、孫は九段下の学校ですから、学校にいればいいけれど、電車の中だったらおおごとと思い、案じていましたがまだ学校にいた時だったようです。娘が自転車で1時間ほどかかって九段下の学校まで行き、孫と一緒にまた今度は二人で歩いて職場に戻り、今夜は会社で泊まるというメールがつながってほっとしました。

刻々と被災状況が報道されるたびに、本当にむねがくるしくなるほどです。
1分も早く、ひとりでも多く救済されるのを願うばかりです。陸前高田市をはじめ町ごと、集落ごと連絡が取れないところがあるということですから、想像を絶するすさまじい被害です。

それにしても福島第1原発第1号機が爆発をおこし、また第3号機も大変危険な状況という報道に、安全神話が崩れた、あれほど危険だと言っていたのに、とうとう恐れていたことがおこってしまったという感じです。

高津区内では、道路の陥没が数箇所、民間のブロック塀が落下した箇所があること、上作延保育園と津田山保育園に地盤沈下があったということなどを、高津区役所から聞き、ふたつの保育園に行って見ました。両園ともちょうど卒園式の日で正装した親子連れの方々が園内に入っていくところでした。卒園式が無事に行えるのならばと、先生たちも忙しそうでしたので、また改めてと言って失礼して帰ってきました。帰宅困難者のために、スポーツセンターと久本小学校と高津中学校が受け入れたとのことでした。まだ50人ほどのこっておられるけれど、9時過ぎにはたぶん閉鎖できるでしょうとのことでした。

途中何軒かお寄りして無事を確認しながら帰宅しました。ひとり暮らしの89歳になる方や、人工透析にかよう方などにも電話をかけるとテーブルにしがみついていました。ちょうど透析していました。などのお返事がかえってきてほっとしました。

13日(日)に区役所に行くと、何人もの職員が泊まっていました。消防署にもお寄りしましたが、エレベーターに閉じ込められた方4人を救出したそうです。緊急救援部隊1隊5人を昨日仙台におくったとのことです。まだ余震がいつくるかわからないので、職員は救急体制とのことでした。

午後は1時間ばかり、溝口デッキで救援募金活動を行いました。10人で行いましたが、本当に多くの方々が募金してくださり、募金箱を持っていたかたは感激していました。入れながら、仙台の実家とまだ連絡取れないと心配そうにお話される方もいらして、心痛はいかばかりかとお察ししますと言うしかことばがでません。1時間ほどでしたが、10万円余にもなりました。ありうがとうございました。