議会活動報告

東日本大震災の被災地・岩手県の山田町を視察しました

2014年4月29日

CIMG3689新幹線の新花巻駅からバスに乗ること2時間余。車中で,お弁当を食べ、車窓から、がれきこそ少しを残して撤去されたものの更地になったまま、あるいは一部かさ上げをしている風景をみながら,3年経過してもなお復興にはほど遠い現実を目の当たりにしながら山田町役場に着きました。副町長さんは,復興計画の作成、用地確保など、復興に向けて困難を極めている中で一歩、一歩前に進めているとのご挨拶をいただきました。

災害関連死亡者78人含めて、死者・行方不明者の合計は820人で人口の4%にあたる大きな被害状況でした。家屋の全壊は約4割、中でも田の浜地区は63%全壊し、70%の家屋が被災しました。

復興計画を話してくださった復興推進課長は北海道からの派遣のかたでした。

復興計画の基本理念には「町では過去の苦い経験(明治三陸大津波)を教訓に、長い年月と巨費を投じて大規模な防潮堤を整備し、市街地や集落を形成してきたけれど、今回の大津波はその防潮堤をいとも簡単に超え、押し寄せた波は人々の暮らしや営みを無惨にも破壊し、またも多くの人命と財産を奪い去って行った。しかしそれでも新しいまちづくりにむけて一歩を踏みだし、町の将来をになう子どもたちのためにも,この郷土をもう一度築いていかなければなりません。我々の子や孫たちが津波で命をおとすことなど2度とあってはならないという強い意志の元、津波から命を守るまちづくりをめざします」と書かれています。本当に住民と行政のなみなみならぬ強い意志を感じます。

山田町には一般会計の10倍に上る復興予算がきているけれど、町の職員が少なくて特に技術職員が不足しているとのこと。川崎市役所からも3人の建築関係の技術系職員が派遣され、私達を出迎えてくれました。この4月に着任したばかりとのこと。単身赴任で期間は1年間とのことです。体調に気をつけてがんばってほしいと思います。

土地のかさ上げ後の建築費用が大変です。現在、資材や原材料の高騰で坪単価は90万円にもなっているとのことでびっくりしました。ある程度の支援があっても65歳を過ぎると銀行は融資をしてくれなくなり、結局、新築はあきらめざるをえない方々もいるとのこと。自力で住宅の再建は本当に困難であるのを実感しました。独自の支援策を考えたいとのことでした。

CIMG3701山田町の大きな問題はJRが山田線を復旧しないことです。全線復旧した三陸鉄道とは対照的に、北リアス線と南リアス線の間、宮古と釜石間がまだ不通になっていて、宮古市や釜石市への通勤や通学の大切な足の確保がバスになっています。朝は満員でぎゅうぎゅう詰め、大渋滞があると普段なら10分でいくところ1時間もかかることもあるそうです。

仮設住宅を案内してくださった共産党の木村町議のお子さんも震災後バスで高校に通学し、帰宅後に今日はこんな事がおこったという話に親子で何度も泣いたといっておりました。震災直後には必ず復旧しますと言っていたのに、風向きが変わり施設は復旧するがあとは三陸鉄道に引き取ってもらいたいといっているとのことです。震災で大きな被害を受けた町の産業の早期復旧と住民の生活と生業の再建のために、JRは公共交通の役割をしっかり果たすべきと思います。

CIMG3694その後、中学校の校庭に建てられている仮設住宅を木村町議の案内で訪問しました。単身住宅と3人で住まわれているお宅を見せていただきお話を伺いました。中は狭くて荷物でいっぱいになり,工夫して生活しているものの本当に長く暮らすのは限界があると思いました。

この住宅の一角に、お手製の「いこいの宿」の看板がかかった小さな集会所がありました。皆さんで廃材を使ってつくったとのことです。煙突付きのストーブやテレビもあり、高齢者の皆さんが日中集まってお話ししたり、ひとときを過ごすそうです。皆さん、歓迎してくださいました。ひとりぼっちの人をださないという温かさが伝わります。

CIMG3708最後の移動は宮古駅から久慈駅まで三陸鉄道北リアス線にのりました。あまちゃんのドラマで宮本のぶこさんが演じたなつばっぱが、大漁旗をふっていた感動的なシーンの海岸では、運転手さんが電車を停めてくれました。電車の入り口でたっていると井口議員が「はじめてゆいちゃんとであった所で・・」といって写真をぱちり。帰宅して孫に見せたら「けー!」と大笑いされました。

夜は地元の共産党の久慈市議、野田村議、洋野町議の皆さんと懇談する事が出来ました。震災が起ったときの対応や被害状況、議会での復興の取組などをお話してくださり、勉強になりました。どこに行っても粘り強く明るくがんばっている姿にこちらが励まされる思いでした。