若年性認知症の夫を支えて10年
議会に送っていただき16年経ちました。私は、議会活動や地域活動とともに、2005年に若年性認知症と診断された夫とともに生きてきました。デイサービスやヘルパーさん、地域の方やなかまに支えられ、進行に伴いいろいろなことがあってもずっと寄添って在宅で暮らしていこうと思ってきました。だから「今期かぎり」とスタートした4期目の2011年でした。でも、夫は2012年の12月頃から睡眠障害などが高じるようになり、家庭での介護が限界になったことから、夫は2013年1月末に老人保健施設に入所、離れるのは私にとっても辛い決断でした。7月からは現在のグループホームに入所し、病気の進行は止められませんが慣れて生活が安定してきました。私の顔を見ると「おう!」と笑顔をみせてくれるのを楽しみにほとんど毎週1回は様子を見に行きます。
いま安倍政権は、今年7月に憲法に違反して集団的自衛権行使容認の閣議決定をし、来年4月の統一地方選挙のあとに自衛隊法などを改悪し、戦争する国へ踏み出そうとしています。選挙前に改悪すると地方選挙への影響が大きいとみての判断です。この12月には消費税増税の先送りを争点に解散、総選挙に打ってでようとしています。国民の世論と運動に追い詰められた末のことです。原発再稼働、医療介護の改悪など政治の暴走が続くなか、真の野党、共産党の躍進が必要です。
川崎市会で共産党を増やさなければと決意
川崎市政でも、福田市長は、“財政が厳しい”ことをことさらに強調しながら、見直すのは市民サービスや福祉で、大規模開発の巨額な税金投入は続けるという市政運営を続けています。その中で、川崎においても、共産党を増やさなければという気持ちが強くなりました。
高津区は2003年まで24年間2人の共産党議員がいましたが、2003年からは私一人になりました。市民のみなさんの要望を十分お聞きし、市政に反映していくためには一人ではとても大変でした。行き届かないことも多かったと思います。私の後継者として宗田さんががんばってくれることになり、本当にありがたく思い、精一杯支えてきたつもりです。しかし、国民・市民の声を本当にないがしろにする政治が横行する中で、共産党が大きくならないと市民の声が届かない現実を目の当たりにしてきたこの間、再度市会へ挑戦して高津区から2人で市民の要望実現にがんばってほしいと強く要望されたとき、その要望に応えることが、16年間応援してくださった皆さんの思いにも応える道だと、逡巡しつつも決意するに至りました。この間、この問題で議論をたくさんし、議論する中で腹が固まりました。宗田さんも決意してくれました。私が介護が大変になっていく中、後継者として頑張ってきた宗田さんと一緒に高津区から再び二人をめざします。
「恩返しと思ってがんばれ」―夫の兄らの励ましに涙
この間、夫の話をしては泣き、励まされては泣きましたが、ある人が「こんな時に降りるなんて不届き者だと思っていた。よく決意したね」。若い時に夫と同じ職場だった人から「なぜ、降りるのかと思っていた。石田だって喜ぶと思う」と励まされました。夫の兄に話すと、少し間をおいて「そうか。わかった。恩返しと思って頑張れ」と。大変厳しい挑戦になると思いますが、引き続きみなさまのために働かせてくださるよう、どうぞよろしくお願いします。