10月24日と25日、共産党市議団は熊本県の地震の被災地を視察しました。熊本空港に着陸のため低空飛行になった頃から、眼下にブルーシートに覆われた被災地の状況が広がり、その多さにおもわず固唾をのみました。
空港からマイクロバスで益城町役場へ。益城町の役場も大きな被害をうけました。一部の課が破損した庁舎内で仕事をされていました。その中で破損していない唯一の会議室で議長と議会事務局長が対応してくださいました。4月14日と16日に震度7の地震に2回襲われ、2回目の本震で、家が倒壊し大きな被害がでました。この3日間で震度7が2回、6強が2回、震度6弱が3回,こんな大きな地震が7回も襲ったのですから、その恐怖は想像に絶します。大変なパニックだったとのことでした。
倒壊の下敷きになった方々を助け出す大きな力となったのは,地元消防団。あの家に独り住まいのお年寄りがいる.あの家は高齢者夫婦だけなどと、地元の家のことがよくわかる地元消防団が自衛隊の救助隊を案内したといっていました。助け出された人は48人で、犠牲者は20人だったとの説明を受けました。
罹災証明にかかる建物被害認定調査を開始したのが4月30日、罹災証明書の交付申請受付開始が5月1日。そして罹災証明書の交付を開始したのは5月20日でこの日は朝3時から並び始め、1日700人程を想定していたが8時半には整理券がなくなったとのこと。
建物は全壊から大規模半壊、半壊までが6,877件、一部損壊は4,356件でまだ罹災証明が発行されていない家屋もあり、発行されても納得のいかない人の申請も増え続けているとのことです.水道,下水道は現在も仮復旧の状況とのことです。
学校は5月9日から短時間再開し、6月1日から弁当、牛乳の提供を開始し普通日課の授業を再開しました。給食センターが被災し,再建には2年かかる見通しとのことで、お弁当を業者に委託しているそうですが、飽きてきて残滓が多くなっているとのことでした。小さいこどもは、家に入るのが恐怖な子もいて、小中学校に心理カウンセラーがはいっているとのことです。
直後の重要なことは、飲食、トイレ、情報だとのこと.職員は住民対応、避難所対応などに追われ、組み立てトイレまで手がまわらず、議員が手分けして受け持ったとのこと。情報はラジオの音声をマイクで拡大するなど苦労した.情報が行き届かず混乱した。福祉避難所は決めて周知をしてあっても当然ながら住民の方々も避難してこられ受入れた。
役場の職員は2ヶ月間2交替で、休みなし、お風呂も入れずの状態で7月に入り職員のストレステェック面談を開始したとのことです.公費による家屋の解体と撤去は7月にはいってから。地区の代表者に集ってもらい、2次被害を起こす恐れがある家を優先し、まだ、2割ほど。復興にむけて、町を14箇所に分けて住民の意見を聞いて復興計画に反映する取組を開始したのも7月。地域づくり、コミュニティーがほんとに重要だと感じているとのことでした.
益城町の第2回議会定例会を1ヶ月遅れの7月26日に開催、予算の専決、被災者生活再建支援法の改正を国に求める意見書や復旧・復興に係る特別な財政措置を国に求める意見書等を提出したとのことです。
大きな課題は,一部損壊には支援制度も義援金の配分もないことです.半壊以上には不十分とはいえ、これらがありますが、一部損壊は屋根瓦がとび雨漏りがするなど被害は甚大です.当面のしのぎとしてブルーシートで覆っていますが風雨に耐えられる状況ではなく大きな不安の状態で暮らしておられます.支援制度の対象を拡大することが大きな課題とのことです。
議長さんは、ここから教訓をつかんでもらうために、視察はしっかり受けなさいと言われているとのことです、大変ななか、丁寧に対応してくださり頭が下がります。
その後、バスに乗り込み持参したお弁当を食べ、南阿蘇村の被災地へ。途中で阿蘇村の共産党の支部長さんが案内に乗り込んでくださいました。車窓から倒壊家屋があちこちにありました。そして阿蘇大橋の崩落現場を見ました.山が崩落、道路をのみ込み、そして阿蘇大橋も.どれだけひどい衝撃的な揺れだったんでしょう。切り取られた山肌にショベルカーが小さく見えます。東海大学の農学部が近くにあり、学生さんが犠牲になった倒壊したアパ−トがあったところも教えてもらいましたが、あたりの被害の大きさと爪痕がまざまざ残り言葉を失います。
その後、西原村の被災現場と仮設住宅を訪ねました.西原村の被災者が住まわれています。玄関脇で仲良く座っておられた88歳の方と90歳代の女性からお話をお聞きしました.足が悪いので湯舟をまたぐのが高くて怖い.滑らないように気をつけているというお話をされていましたが、友達と一緒なのでまだ心強いと言っておられました。ボランティアの人たちに助けられたと言っておられました。
夕暮れ時に、ここを後にしてホテルに向かいました。
阿蘇山も遠くに見ることが出来、そして雄大で美しい風景が広がりますが、まだまだ復興への道のりは遠く、一刻も早く復興へと願わずに入れません。