2008,02,05, Tuesday
『語り合おう、子ども達の明日を!広げよう、子育ての輪を』―保育のつどい
雪が降りしきる中,午前10時から高津市民館で「第30回かわさき保育のつどい」が開かれ、私は全体会に参加しました。保育のつどいは「1万人に1箇所の保育園を」という願いがかない、川崎に100箇所目の保育園ができたことを記念して、1979年にスタートして今年で30回目を迎えました。「語り合おう、子どもたちの明日を!広げよう、子育ての輪を」をスローガンに川崎で子育てにかかわっている誰もが参加でき、子ども達の健やかな成長を願い、日々の子育ての悩み、思いを本音で話し合える場として、毎年いろいろなテーマで話し合ってきたつどいです。
保育園のお母さんが実行委員長挨拶を行い、私は来賓挨拶をさせていただきました。保育園が保護者のみなさんや地域と一緒にとりくんできた川崎の保育の歴史や蓄積、子どもの発達保障や保育の質をたかめてきた取り組みに確信を持ち、是非がんばってほしいと思っています。
『命を生み出す母親は、命を育て、命を守ることをのぞみます』―母親大会スローガン
11時からはてくのかわさきで『第50回川崎母親大会記念のつどい』が開かれ、参加しました。母親大会にかかわってきた多くの先輩のみなさんのあいさつがありました。第1回大会は1955年、日本敗戦からわずか10年,戦争の傷跡は生々しく、第1回母親大会に集まった2千人の母親たちは、子どものこと、くらしのこと、平和のこと、さまざまな悩みや願いを涙ながらにはなしあったそうです。
広島・長崎への原爆投下。敗戦後の1954年、アメリカによるビキニ環礁での水爆実験で、日本漁船福竜丸が死の灰を浴びたことは、日本に激しいショックを与え、特に女性は戦争への不安、怒りを強くもちました。
死の灰をあびた久保山愛吉さんの未亡人すずさんの訴え、炭鉱が次々閉山され、生活苦のなか、栄養失調とも言われた赤ちゃんを背負って、鶴田志折さんが福岡の炭鉱からでてきて、深刻な苦しみや悲しみを発言したのが感動的な第1回の涙の母親大会だったとのことです。その後も『命を生み出す母親は命を育て命を守ることを望みます』のスローガンのもと、大勢のお母さんたちがくらし、命、平和を守ってたちあがり、運動してきた歴史だったということを多くの方々の発言で学びました。
めざそう!仕事と暮らしの調和~快適なまち・かわさきを~2008年すくらむ21まつり
午前9時50分から行なわれていたすくらむまつりにいけたのは3時少し前でした。午後2時から始まっていたワークショップ、私たちの望む「ワーク・ライフ・バランス」におくれて参加しました。
チラシをみてゼロ歳児のお父さんとお母さんが参加されていて、お母さんは子育てと仕事かでとても悩んでいるという発言がありました。また看護師さんは大きな組織の中で人事評価制度が導入されていて、同僚でも賃金格差があるので、賃金の話はできない。出産して育児休業をとりたい旨を上司に話したら、一度辞めて働けるようになったらパートで雇ってあげると、冷たい対応をされるなど女性が子育てしながら仕事を続ける大変さが語られました。
今、雇用や労働の実態はとても厳しくなっています。世界でも日本でもワークアンドバランスが注目されています。議論では「ともかく声をあげて行動しよう」ということになりました。