このまちレポート

臨時市議会の最終日・24日に、「平和無防備都市条例の制定について」討論、採決が行われました。 08年7月25日

2008年7月27日

2008,07,27, Sunday

2008,07,27, Sunday

22日から3日間臨時市議会が開催され、市民のみなさんが直接請求によって条例案を提出した『川崎市平和無防備都市条例の制定』について、審査が行われました。
共産党がおこなった初日の佐野議員の代表質問と3日目の竹間団長の行なった討論全文は市議団のホームページに掲載していますので是非みてください。

討論では、1筆1筆の署名に寄せられた平和への願いは重く受け止めなければならないと表明し、年々減額されている平和館関係費など本市の平和施策について取り組みを質しました。審議の中で,平和館について「平和館活性化に向けたプロジェクトを設置し運営協議会と協議して」進めていくということがあきらかになりました。市民参加を拡大するシンポジュームなどさまざまな仕組みを検討することを求めておきました。

イラク戦争を通じて米国の一方的なやり方は許さないという国際世論が広がる中、自衛隊がどういう役割を果たそうとしているのか厳しく問われています。まさにそのとき、自衛隊の「音楽まつり」に市立橘高校吹奏楽部が出演しました。「音楽まつり」のパンフレットと一緒に配布されたアンケートにはご希望をお知らせくださいとして

1・自衛隊の募集案内・資料がほしい

2自衛隊のイベントに参加させたい

3・部隊または基地を見学したい

4・自衛隊の試験を受験したい〈させたい〉とあり、「音楽まつり」の目的がどこにあるかも明確です。

この音楽まつりを。後援している教育委員会が、市立高校の吹奏楽部が参加したことをまったく知らなかったことも明らかになりました。生徒を出演させないことを求めるとともに、自衛隊の音楽まつりを市が後援することをやめるべきことを要求しました。

市民の平和への思いは重く受け止めるべきですが、しかし平和への思いを尊重することが、どうして「無防備地区宣言」でなければならないのか、という根本的な疑問を払拭できません。

この条例案は、戦時ルールであるジュネーブ条約を根拠とし、戦争、紛争を前提にした内容であって、「戦時、紛争時のルールをつくることは、武力の保持や行使・威嚇を禁じている憲法9条の理念とは、相容れません」とのべ、今、大切なことは平和を求める国民と世界の人々のたたかいと世論の高揚に確信を深め『日本を戦争にしない国にするために、9条を守る1点で、一人でも多くの人が手を携えることではないでしょうか』」と表明して、本条例案には、賛成できないことを明らかにしました。

日本の憲法9条は、戦争を放棄する、軍隊をもたない、国の交戦権は認めないと高らかに謳っています。ここまで恒久平和主義を徹底した憲法は世界に殆ど例がありません。

その値打ちは1999年、オランダのハーグで行なわれた世界平和市民会議での「行動指針」が各国議会に『憲法9条のように戦争放棄宣言を採択すること』を呼びかけるなど世界でも注目されています。そして、アフリカ沖のカナリア諸島のテルデという市に、「ヒロシマ・ナガサキ広場」があり、そこに日本の憲法9条の碑があるというのも、すごいことだと思います。

この間、世界の中で、アセアン・東南アジア諸国連合を中心とした東南アジア友好協力条約が、画期的な広がり方をしています。アセアンの国々が結んだ条約で、独立・主権の相互尊重、内政不干渉、紛争の平和解決、武力の威嚇・行使の禁止などを取り決めた平和の共同体の条約です。アセアン以外にもひろがり、参加国は24カ国、地球人口の57%を占めるところまでひろがっています。この平和の共同体がアセアン以外にひろがりをみせたのは、無法なイラク戦争の悲惨な結果とその破綻だったとのことです。

このように、21世紀は「軍事力による紛争の解決」の時代ではなく、「国際的な道理にたった外交」と「平和的な話し合い」が世界政治を動かす力となり、憲法9条の値打ちが、地球的規模で生きることになります。

戦争をしないことを宣言し、武力の保持や武力の行使・威嚇を禁じている日本国憲法のもとで、無防備地域宣言をおこなうという戦時、紛争時のルールをつくることとは相容れません。そもそも日本国憲法は「無防備」を特定の地域に適用したり、この宣言を「通告」する「敵国の存在」なども、想定外です。

イラク戦争への自衛隊派遣が憲法9条に反し違憲であるという名古屋高裁判決が出されました。やはり、9条の会が草の根で広がり、再び戦争を起こすことが絶対ないことを求める粘り強い運動がこうした状況を作り出していると思います。そして改憲をさせない力となっています。さらにそのながれを強く大きくして、平和憲法をしっかりまもるために、生かすために頑張りたいと思います。

私の兄は静岡の田舎から東京に働きに来ていて空襲にあい、なくなりました。私が生まれる前でした。生前の兄から届いた手紙を母が大事にとっておき、その手紙があることをはじめて小学生のときに知りました。読んだときの母親の涙を忘れません。戦争は2度とおこさない、これは誰もが持つ共通の平和への願いです。

核兵器の廃絶,非核3原則の厳守、イラクからの自衛隊の撤退、横須賀の原子力空母の母港基地化反対など平和のためのひとつひとつの闘争にしっかり着目し、そこに軸足を置きながら、平和憲法を守り、生かしていくためにがんばりたいとおもいます。