共産党市議団は7月25、26日と福島県の南相馬市など原発事故の被災地の視察に行きました。
詳細は、後日、市議団のホームページに掲載されますが、4回に分けて報告します。
25日、まず福島県庁へ
25日はまず福島県庁から、7月24日現在の県内応急仮設住宅等の入居者は101,010人、県外避難者61,548人で合計162,558人もの方々がいまだに避難生活をされている。亡くなられた方は2,730人で最も多かったのは南相馬市947人、住宅被害の全壊は20,763棟、半壊は70,010棟、一部損壊は158,917棟などの被害状況などの説明を受けました。凄まじい被害です。被災者支援、被災地復興に政府は全力を注ぐべきと改めて強く思います。
共産党県議団から実態を聴く
その後昼食をとりながら共産党福島県議団と懇談しました。仮設住宅では着の身着のまま避難した人がほとんどで、世帯人数が多いのに一間暮らし、建て付けが悪く苦情多く住み替えの要望が多いとのこと、住み替えについて、県内は1回、県外も1回までは認められているが県外から県内への住み替えは認められていないとのこと。県は昨年12月に除染、住宅、商店街復興、就労対策などの復興計画をたてたが、避難者からはいつ帰れるのか、除染はどのくらい進んでいるのか、賠償が進まない、医療、福祉サービスなど生活に密着した生活支援を県外であっても同じようにしてほしいなど切実な要求ばかりとのことです。
福島市では除染が必要な11万戸に対し、5月末で900戸済んだだけとのこと。
18歳までの医療費無料化がやっと実現したけれど、県外者は償還払い。県外避難も増えているが、被災先の自治体で被災者として同じ列にならぶが、避難区域の違いや自主避難の人の対応がちがう矛盾を経験し、線引きをしないでほしいという要求も強いとのことです。共産党は、そうした線引きをせず、どのような選択をした人も等しく避難者として救済すべきと主張しています。
また、震災時1歳半だった子どもさんを持つ事務局の方はこの1年間外で遊ぶことができなかったために、外にでないことが当たり前ということの影響が、子どもの成長にとって本当に心配だと話されました。この時期の外遊びの大切さを考えるといたいほど気持ちがわかります。ブランコに乗るのも、オタマジャクシを見つけて触るのも放射線量計が必要、散歩も線量を量ってより低いところを散歩するしかないという話に、子どもの育ちに計り知れない影響を与えていると思いました。放射能の影響による健康被害が何年先に出るかわからない。18歳までの医療費無料かの延長も必要ではないか。などの話にとても納得しました。
障害者作業所ひまわりの家を訪問
震災時、障害者支援に奮闘し公益財団法人社会貢献支援財団から表彰されたという障害者作業所NPO法人ひまわりの家を訪問し、創設者の共産党市議の村松さんから障害者支援に対する思いととりくみをお聞きしました。すごいエネルギッシュな方でその実行力に圧倒されました。
かつて精神障害者を座敷牢にとじこめた相馬事件があったこの地では、精神科医院がまったくなく、精神障害者の福祉や医療の支援が本当に求められている地であったことから、平成11年に5〜6人の通所作業所からはじめ、最初は障害者のための仕事をとるのに大変だったけれど、現在では就労継続支援B型の施設3か所、相談支援事業、生活訓練事業、居宅介護事業でヘルパー派遣、福祉有償サービス・介護タクシー 事業のほか、グループホームを8カ所も運営されています。グループホームは町の真ん中、中心市街地につくり、障害者の理解を地域のなかにつくってきた。ヘルパー事業の立ち上げも、ある事例がきっかけで、障害者の支援にはヘルパー派遣が必要と強く感じて立ち上げたという具体的な話もお聞きしました。
震災時、原発事故で医療機関や薬局が存続できずクローズされたなか、精神科の薬が手に入らなくなって深刻な事態に。南相馬市に薬の問屋があるがそこも閉まってしまい、輸送手段もなく、高齢者施設も含め、食料、薬など支援物資がなく、まわってきた県の職員をつかまえて強く要請、その職員が動いてくれ、薬のデーターを県に送り、ひとつの薬局に薬の受け手になってもらい、県から薬剤師も派遣してもらってなんとか、薬の問題はクリア、同時にひまわりの家の厨房で炊き出しを始めた。診療をなんとか始めないと、どうしようもないということで、民医連からの応援を受けて、3月25日から医師が一人入り、29日から全国から支援の先生が交代で入ってくれたとのこと。
医療もこの機会にやろうということで、つくる会を6月に立ち上げ、クリニックなごみを開設し、週5回、3人の先生にきてもらっているとのことです。現在、障害者の支援のために医療、福祉、保健が一体となったアウトリーチの支援をはじめているとのこと、当事者を囲んで医師、看護士、ヘルパー、市役所職員等できめ細かい支援策を講じるこのアウトリーチは今、全国でも障害者支援として強く求められている施策です。私たち市議団もこのアウトリーチ支援を行っている自治体を視察したいと思っていたので、ここでその実践を始めたと聞いてその面でもお話を聞けてよかったです。
震災後、避難所で生活する中で精神症状がでてグループホームに入居されたかた、小高区や浪江町から精神的な変調をきたし送られてきた方などたくさんの方を受け入れてきたけれど、今はとても元気でくらしているとのことです。
村松市議さんのすごいのは、こうした実践から「必要なことはやればいい」と力強く言われることです。楽天的で豪快な女性でとても魅力的な方でした。
今、障害者の子どもとその親の高齢化が進んでいることから、家族ぐるみで生活できる場所と支援が必要だと考えているとのことです。
たくさんのことを学び、宿泊地に向かいました。
この日の宿泊は相馬市の晴風荘ですが、夕食の前に福島農民蓮会長でふくしま復興共同センター所長の亀田さん、三浦さんと懇談しました。