11日沖縄市役所で「平和・男女共同課」から、平和推進事業アクションプランの説明をしていただきました。
沖縄市は、沖縄戦の悲惨な体験や教訓を風化させる事なく、後世に平和の尊さをつなぎ、未来永劫市民が平和を享受できるよう、様々な企画展や記念行事等を行い平和行政の推進を図る事業を行なっています。
その1つが1991年から取組んでいる平和大使研修事業です。昨年度は市内8つの中学校から男女各1名ずつ校長先生の推薦で選ばれた16名、公募により選ばれた社会人3名の計19名が平和大使として約9か月間、様々な講義を受講し、多くの戦績を訪れ、戦争の恐ろしさや悲惨さを肌で感じ、戦争や平和について様々な角度から学ぶ活動との事です。
2016年度の報告書を頂きました。巻頭に市長の挨拶が掲載され、中に「1945年9月7日、旧越来村森根(ごえくそんもりね・現嘉手納飛行場沖縄市域)にて、米軍と日本軍守備群との間で沖縄戦の降伏調印式が行なわれました。本市では、日本国憲法の恒久平和と核兵器廃絶平和都市宣言の理念の下、沖縄戦が公式に集結した9月7日を「沖縄市民平和の日」とさだめております」と書かれておりました。
研修報告集には、沖縄戦がなぜ起きたのか、悲惨な実態を学んだ。ガマの中にはいって考えた事、広島県に行って原爆ドームや資料等を見て、原爆投下の恐ろしさを感じた事、宮森小学校に1959年6月30日に起きた米軍のジェット機の墜落事故を知ったこと。あの事故があってアメリカの軍用基地を許す事ができないと考えている事など、学んだ事、考えた事等が率直に書かれていました。
戦争の体験を語り部として後世に伝える方々が今次第に少なくなっていて、今後研修のあり方や中身を考えて行かなければならないと担当者は言っておりました。昨年度までで平和大使経験者は総勢438名との事です.平和大使の活動の感想や、戦争の恐ろしさと平和の大切さを学んだ事。今後しっかり考え後世に伝えて行きたいということばを読んで、とても大切な取組と思いました。